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2010年8月27日。大切な大切な長男・トモヤが一人で天に旅立ちました。逢いたい想いは、悲しみと一緒に息子への愛として、一生大切にしていきます。

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11月27日 月命日に
2011-11-27 Sun 22:22
今日の月命日に、
トモヤの友だちが二人、ビールを持って仏壇に来てくれた。
(お墓も行ってくれたのね。ありがとう)

私は、セミナーに行っていたので、夜メールをもらった。
仏壇に来てくれると、いろんな話が聞けるので夫は楽しかったらしい。


今日墓参りも行ってきました。
やっぱり行くたびに切なくなります。

Oと一緒に行ったんですけど、
墓の前に行くと言葉が出なくなるんですよね。
無言で5分ぐらい墓の前につっ立って、
「寂しいな…」って言葉がでてきて。

おれらが行くたびに、花が新しいのになってて…

そういうのを見るとやっぱり辛いですね…

俺・時間は解決してくれないと思うんです…どう思いますか?

彼女にフラれたとかそういう話とは比べものにならないですもん。

死ぬまで、寂しいと思います。
ただ、やってやる!って気持ちもすごいあります。
常に智哉を胸に秘めて生きていきたいんです


そら



トモヤはずっと二十歳のまま。

私たち親は、自分自身を「一生許せない罪」
を背負ったまま生きていくのだろうと、そう思っている。


子どもを、先に逝かせるなんて、
そして、まだまだこの先も生きていくなんて
いまだに信じられず、悔しくて苦しくて・・。

いっそこのまま死んでしまえたら、どんなにいいかと・・。



でも、トモヤがそれを望まないので
私なりに「精いっぱい明るく」生きたいと頑張っている。


成人式でCちゃんと。嬉しそうだなぁ・・・
↑幸せいっぱいの成人式・平成22年5月3日(亡くなる3か月前)


私が毎日訪問させていただいているmifoccoさんの「やさしいなみだ」で、
トモヤのことが書かれていた。



かわいい・・・・。

ほんとうに、そう思う。

トモヤは今、どこで何をしているんだろう。
逢いたいよー。



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「ニューハート」
2011-11-23 Wed 21:21
「外科医ポンダルヒ」を観て、医学分野で最も危険な「胸部外科」を知った。

医療界では敬遠されている「胸部外科」。

医療事故に最も直結し、いつも緊急の状況のもとにある。
瞬時に正確な判断力と技術を要求され、緊張感が絶えない。


こんな劣悪な環境でありながら、
生死の狭間で患者と共に血と涙を流し、患者の蘇生を心底喜ぶことができる、
そのような医者たちがいる。


ウンソンを演じるチソンssi。
少年の家の出身だが、憂いの表情はなく明るい。
医者になるという強い一念で、“バカ”と言われても、
持って生まれた手先の器用さと努力で、
本当の医師になっていく姿がとても感動的だ。


外科医の命、右手をけがして・・・・
↑外科医の命・右手指負傷・・・あきらめないウンソン


最終回(23話)ウンソンの言ったセリフ。

「心のおもむくままに。
頭では判断できないこともあります」
 
いい言葉だな~と涙がでた。
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短歌を詠んでみました(^^;
2011-11-22 Tue 22:56
昨日、新聞に私の作品が掲載された

  寂しくて子のジャケット羽織る吾 
      
        おまえのいない冬がまた来る



トモヤのことをいつも考えていて、
トモヤの遺したジャケットを羽織った。

トモヤと一緒にいれるようで嬉しくなる。


初めて詠んだ歌は、
トモヤのことを考えていたら、いつの間にか出来た。
ひそかに投稿して、掲載された時はびっくりした。
(人に言われるまで気がつかなかった)

こんなんで、いいの~??

10月3日に掲載された短歌

   あちこちに息子の遺した文字があり
      
        おまえは確かにいた去年の夏



片づけものなんかしてると、
トモヤの書いた文字がひょこっと出てきたりする。
かわいい字だ。とても愛らしい。
トモヤは気の小さいような、やさいしい字を書く。

去年の夏は、ここに確かにいたんだ。
そう思ったときに、言葉が繋がった。



短歌なんか考えたこともなかったし、
へたくそだけど、作ってみようと思ったわけは、

少ない文字数で、気持ちを表現しようとする時に
揺れた心を正確に見つめる自分がいることを発見したからだ。

なんだか、哀しみを「受け止めよう」と認めることから、
私とトモヤとのこれからの関係が成立するのだろうと思う。


私はこれまで、ブログに書いて来たように、
何度も落ち込み、泣き、
いったんは、立ち直ったかのように元気になるけれども、
また、嗚咽する日々が続いたりする、
そんな繰り返しで一年を過ごした。

今でも、
トモヤは、ひょっこり帰ってくるような気がするし、
「ほんとうにこの世にいない」なんて信じたくない。

トモヤのバカな行動を許してあげたいけど、
家族に黙って勝手に逝ってしまったことを怒っていたり、
でも、それは私のせいだと自分が許せなかったり・・・、


そんなふうに、心はいつまでも不安定のまま。


自分の心の奥底の哀しみを感じないように生きて
私はほんとうに昇華できるつもりなのか。



きれいだなぁ・・・
↑気功教室の玄関にツリーが・・!


ボツになったのかもしれないけれど、
一番好きな歌はこれだ。

   世を去りて星になりし長男の

        「ここにいるよ」と満月の空


満月の光が明るすぎるくらい私に降り注ぐことがある。

空を見上げると、
トモヤが見つめているみたいに思えて、
あたたかな涙がこぼれてくるのだ。


短歌を詠もうと心を見つめる時間に、癒しの力があるような気がする。
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二男が二十歳に
2011-11-21 Mon 23:57
今日は二男の二十歳の誕生日。
東京の学生会館にいるので、メールでお祝い。
クリスマスに帰ってきたらケーキを焼いてあげよう。

二男が二十歳になって、あと半年すると、トモヤと一緒になる。

トモヤは、二十歳をすぎて、たったの半年で向こうの世界に逝ってしまった。

これから来る未来を、どんなふうに生きていくのか、
就職や結婚や、友だちとのつきあい、仕事の楽しみ苦しみ、
全部おいて、さっさと故郷に帰った。


成人した息子とのつきあいを、弟たちに任せたんだね。
お母さんは、トモヤの21歳・22歳・23歳・・30歳・・を想像しながら
弟たちを見守るよ。



今日、突然、トモヤの友だちのパティシエのS君が、
ロールケーキを焼いてきてくれた。

いつもながら、S君のやさしさに涙がこぼれる。
先月はお墓にビールを供えてくれたそうだ。


S君は、着実に夢に向かって前進している。羨ましいな・・・。

S君、トモヤが「ガンバ!」って言ってます

S君、トモヤが食べてます♡
↑トモヤと一緒にロールケーキをいただきました。

S君、美味しかったです!いつも、ほんとうにありがとう。



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子どもを亡くした親の心
2011-11-12 Sat 18:20
江原啓之さんのスピリチュアルな本は、ほとんど読破した。
でも最近、読んでいて心が受け入れられないことがある。

それは、
「その悲しみは、亡くなった人を思っての悲しみではなく、
自分自身がかわいそうで泣いているのです」

というような内容に出会うとき。

自分自身がかわいそうで泣く・・?。

私、自分がかわいそうだと思っている。
そして、それは自分自身のせいだとも。

かわいそうで、ふとした瞬間に涙が溢れてくる。


哀しい。辛い。苦しい。


突然子どもが死んでしまって、
たった1人で逝かせてしまって、

お別れの言葉も、
感謝の言葉も伝えられなかった。


確かに、現在、息子には
私の心が透明に透けて見え、
私が哀しいことも、息子を可愛くて大好きなことも、
逢いたいことも、全部伝わっている。


でも、逢いたいと涙が溢れ、
泣くことはそんなにいけないことなのだろうか。


「家族がいつまでも哀しみを引きずることで、息子が成仏できない」

これは、実にたくさんの方々から言われた。


だから、毎日仏壇の前で、
「がんばってね」とか「お母さんのとこに、生れてきてくれてありがとう」
と言って、明るいお母さんでいるよう努めているのだけど。


でも、親ならば、
逢いたくて逢いたくて泣くことは、無理やり止める必要はないと思う。



エリザベス・レーメンの「悲しみがやさしくなるとき」に、

「経験しないとわからない。
では、経験するまで知ろうとしなくてよいのでしょうか。
経験しない者の多くが、相手を傷つけてしまう大きな原因は
無知だと思います。

やさしい気持ちや思いやりだけでは追いつかないのです

どれだけの苦しみがあるのか、悲しみが終わらないものか、
を知らないとき、やさしい人もひどい言葉を口にしてしまいます。」

と書いてあった。


江原さんは子どもを失っていらっしゃらない。
霊界の仕組みを知り、
魂の故郷に帰れば、逢えるからとおっしゃる。

「泣くのは自分がかわいそうだからだ」と。


モノリスワークでも
「驚愕の前世体験」を書かれた、鈴木啓介さんが、
「ねこうさぎさんのは愛でなく、執着だ」とおっしゃった。


それで、
「はい。そうです。息子に執着するのはやめます」
と、哀しみが昇華されると思っているのだろうか。

慰めるつもり、励ますつもり、
多くの人は、やさしさから言葉を発する。
わかっているのだけれど、
傷口を掻きまわされるような痛みを感じることもあるのだ。

人の死を、まして逆縁となる子どもの死を、
簡単に語られると、そうとうに辛い。



確かに、自分の選んだ修行なんだから、
私は頑張るつもりでいるけれど、
でも、息子に会えるのは何年先になるかわからないし、

今・・・ほんとうに寂しいですね・・・。


哀しみは終わらないです。

でも、がんばるね。トモヤ。

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